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2017年4月17日月曜日

ブルー・スエード・シューズ

Blue suede shoes / Elvis Presley




腕と前髪をダランと落とし、暗闇から表れた男は、ニヒルに笑うより先に、全身を震わせ、いきなり突進する。一、ニを手早く片付けて一刻も早く三に辿りつくかのようにだ。暗闇を金色に照らすパワーは金色よりも金色に光りながら青い靴に光りを当てる。

繰り返されるフレーズ
なにをしたっていいけれど、ブルー・スエード・シューズだけは踏まないで/Well you can do anything
But stay of my blue suede shoes
は真実へ向かう曇りのない声。


エルヴィスがどこから来てどこへ行こうとしていたのか、はっきり聴こえてくる声だ!
さあ、やってくれ!ピュア・ロックンロール!
何度聴いてもゴールド・スタンダードだ。
チャックベリーだって同感だとはしゃぐだろう。


*一つめは金のため
二つめはショーのため
三で用意ができたなら、さあ行くぜ
でも俺のブルー・スエード・シューズを踏まないで
なにをしたっていいけれど
ブルー・スエード・シューズだけは踏まないで

俺のことを突き倒し
顔を踏んづけたって構わない
町中に悪口を言いふらしてもいいさ
でもどんなことをしようとも
俺の靴だけには近寄るな
俺のブルー・スエードシューズを踏まないで
なにをしたていいけれど
ブルースエード・シューズだけは踏まないで
(よし、行ぐせ!)
(一発キメてやれ!)

俺の家を燃やそうが
大事な車を盗もうが
酒を飲んじまっても構わない
どんなことをしようとも
俺の靴だけには近寄るな
俺のブルー・スエード・シューズを踏まないで
なにをしたていいけれど
ブルー・スエード・シューズだけは踏まないで

(ロックしな!)

*アドリブでくり返し

ブルー、ブルー、ブルー・スエード・シューズ
ブルー、ブルー、ブルー・スエード・シューズ
ブルー、ブルー、ブルー・スエード・シューズ
ブルー、ブルー、ブルー・スエード・シューズ
なにをしたっていいけれど
ブルー・スエード・シューズだけは踏まないで








1955年12月、カール・パーキンズが録音、翌年3月エルヴィスより先にR&Bチャートに白人初のチャート・インとなった。


そのせいか、一部にはエルヴィスよりカール・パーキンズの方が才能があったとか、エルヴィスはカールのコピーだとか、ロックンロールがLPに閉じ込められたのと同じようにつまらない話がある。<ハウンドドッグ>にしたってそうだ。

キングの真実は55年のサンでの震え上がるような名曲の成功、10月の全米ツアー『エルヴィス・プレスリー・ジャンボリー』、56年1月のTV出演、2月<ハートブレイク・ホテル>の全米チャート・イン、その後の実績が物語っている。

でもこのすてきな曲が、そんなふうに扱われるのは、とても悲しいことだ。きれいなブルーの靴を汚す戯言でしかない。

ロックンロールは下劣だ、エルヴィスは猥褻だとレコードを焼き払われ、コンサートが禁止になっても、エルヴィスもカールも、夢に向かって突進していたのだ。

挑戦するハートに優劣なんてありはしない。


これは45回転のドーナツで作られた教科書だ。




エルヴィスがいた。

2017年3月1日水曜日

エルヴィス・プレスリー・ギャラリー



あなたの好きなエルヴィスはどれですか?


エルヴィス・プレスリーが急死したとき、「エルヴィス・プレスリーはドーナツの食べ過ぎで死んだ」とデタラメなニュースが流れましたが、実際はドーナツ盤を売りすぎて死んだのです。ドーナツ盤とはシングルレコードのことで、ドーナツの形をしていたので、ドーナツ盤と呼ばれました。

アルバムが買えなかった若者に買いやすくしたもので、エルヴィスの最初のアルバムは全部シングルカットしてドーナツ盤でも販売されました。



ミシシッピー州イースト・テュペロ出身。1954年「ザッツ・オール・ライト」でメンフィスのサン・レコードからデビュー。キング・オブ・ロックンロール。エルヴィス・プレスリーが爆発した時代。1956年ですが、リアルタイムで聴き、夢中になった人って日本では少ないと思います。

その証拠って言ってはなんですが、有名な曲「監獄ロック」、同名映画の主題歌ですが、その映画が公開されたのは、ずっと後でビートルズ登場と変わらない頃です。

で、アメリカでは「ハウンド・ドッグ」がエルヴィスの代表曲ですが、日本では「ハートブレイク・ホテル」

両方ともアメリカではナンバーワン曲ですが、社会に与えたインパクトという点では明らかに違いがあり、「ハウンド・ドッグ」は事件になりました。キング・オブ・ロックンロールの冠がついたのも「ハウンド・ドッグ」が深くかかわっています。

サンレコードから移籍したエルヴィス・プレスリーが、1956年RCAから発表したファースト・シングル「ハートブレイク・ホテル」です。エルヴィス・プレスリーのファーストシングルにして、初の全米No.1となり、キングの歴史がはじまりました。

日本では「ハートブレイク・ホテル」が日本人が歌って騒動になりましたが、意味が違います。

しかも「ハートブレイク・ホテル」がどのようにして人気を得たのか、実際のところわかりません。だってテレビが浸透してなかった時代のことですから、ラジオしかなかったのではないかと想像します。そのラジオからエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」も流れてきたのでしょうが、ピンときません。


厳密には映画を通してしかエルヴィスを知ることはできなかったのでないでしょうか?

そのはじまりが「ブルー・ハワイ」です。これもリアルタイムで知りませんが、当時は夢のパラダイス。行きたくてもほとんどの日本人には夢のまた夢、幸運にも自分はハワイに行ったのは早かった方だと思いますが、当時は日本人が数多く働いていて、ほとんどの人が仕事を複数やっていましたね。

映画は全く知りませんでしたが、ハワイ観光に火をつけたのではないでしょうか。自分が実際に行くよりずっと前の公開で、たぶん伊勢神宮のような格付けだったのではないかと想像します。

当時。劇場で観た方は、ゴージャスなハワイを背景に歌いまくっているエルヴィスを見て、「こんな映画の主役をやっているんだから、この人は並の俳優ではない」と感じたそうです。

つまり日本人がエルヴィスをリアルに体験したのは、ここから後だと言いたいわけです。早くてビートルズ登場の2年位前の話です。わずか2年ですが国の成長がいまの2年と随分違う。いまは情報化社会といわれ技術の日進月歩という点ではすごいけど、国が成長していく馬力という点では非ではないと思います。

当時ガキの自分には、ほとんど想像ですが・・・。

ビートルズはリアルタイムでしたね、団塊世代にピタッとはまったバンドでしたね。しかし男の子は関心なかったですね。いま伝わる話は後から作られた話が多いです。あるいは一部の人の話がクローズアップされて伝わっている。

実際は「橋幸夫」ですよ。団塊世代の心の歌は・・・「橋幸夫」です。
子どもの頃、市場があってよく遊んでいたので記憶してます。
BGMに流れてくるんです。
音楽は市場で覚えました。歌謡曲、映画音楽、プレスリーなんて一切記憶にないですね。ビートルズも。

🎵マコ、甘えてばかりでごめんね。ミコは・・・なんてよく入ってきましたね。
おかげで音楽が嫌いで嫌いで・・・恋は神代の昔から〜なんて聞こえてくると、どうにかしてくれと思いましたね。

それを全部、払拭したのがエルヴィス・プレスリーでした。
歌ってこんなに楽しいもんだと知りました。



Return to sender
Return to sender

I gave a letter to the postman
He put his sack
Bright and early next morning
He brought my letter back
She'd wrote upon it

*Return to sender
Address unknown
No such number
No such zone"

We had a quarrel
A lover's spat
I write "I'm sorry"
But my letter keeps coming back

So then I dropped it in the mail box
And sent it special "D"
Bright and early nest morning
It came right back to me
She'd wrote upon it

*Return to sender
Address unknown
No such person
No such zone

This time I'm gonna' take it myselt
And put it right in her hand
And it it comes back the very next day
Then I'll understand
The writing on it

* Repeat
Oh, return to sender
Return to sender
Return to sender
Return to sender

この曲は全米NO2、全英NO1になった「心のとどかぬラブレター」、ふたたびハワイで撮影した映画「ガール!ガール!ガール!」の挿入歌。
ハリウッド映画は、不法移民だったマネジャーの都合で世界ツアーができなかったエルヴィスを世界に見せる装置だったのです。

しかし、本来のエルヴィス・プレスリーとは違います。やっぱりエルヴィス・プレスリーはキング・オブ・ロックンロールですから。

日本人が本当のエルヴィス・プレスリーを垣間見るのは、ビートルズやボブ・ディランを知った後なのです。

Artist of the Century 













2014年10月16日木曜日

怒れる若者たち


ロックンローラー壊滅。

1958年、日本で日劇カーニバルを震源地にロカビリー旋風が巻き起こる。

しかし時差なしに情報が入ってくる現代と違い、当時は2年くらいの時差があったようだ。

年間ヒットチャートの半分をエルヴィス・プレスリーのヒット曲がトップを占領していたのが1956年。

本国アメリカの58年には、 デビューから2年、人気絶頂にあったエルヴィス・プレスリーは、ファンの反対運動の甲斐もなく軍に召集され入隊、ドイツへ派遣されてしまう。

さらに エルヴィスの留守中、バディ・ホリーエディ・コクランジーン・ヴィンセントなどが事故死、ジェリー・リー・ルイスチャック・ベリーのスキャンダル、リトル・リチャードの引退。


一線を飾っていたロックン・ローラーが相次いで消え、変わってストレートなロックに変わって軽いポップスがヒット・チャートを塗りつぶすようになる。

ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシス、デル・シャノン。レイ・チャール、イギリスではクリフ・リチャードが変わって主役となり、メロディーラインの美しい、いわゆる60年代POPS全盛期に入る。

日本で最も愛されてきたPOPSはこの時代のものだ。本国では、すでにロックンロールは壊滅状態にあった。

1960年、エルヴィスが復帰。ブランクをモノともせず、人気の衰えもないままエルヴィスはより大きなシンガーへの転身がはじまる。
しかし、 のちにジョン・レノンは「僕はハート・ブレイク・ホテルによってロックに目覚めた。そのエルヴィスは軍隊に殺された」と言っている。






ロックンロ-ル
























怒れる若者たち


1930年代からアメリカ文化を追いかけていたイギリスでは、アメリカのロックシンガーは大歓迎され、エルヴィスもアメリカ以上に絶大な支持を受けていた。

特に「怒れる若者たち」テッズ族(テディ・ボーイ)には熱狂的に支持された。

アメリカのロックンロール旋風と違い、人種差別主義のテッズ族は1956年には国内最大の暴動事件を起こしている。

革ジャン&ハーレーに乗った反抗する若者をテーマにした1954年製作のマーロン・ブランド主演の映画「乱暴者」がイギリスにおいては68年まで公開禁止されたことが、当時の若者の行動への危惧と狼狽を語っている。











1968年は「イージーライダー」が公開された年だ。
若者文化が労働者階級にまで浸透していなかった1963年に登場したザ・ビートルズはアバンギャルドにも支持された。

ピエール・カルダンを着用したアートスクール出身の彼等の音楽、ファッションによるインパクトは黒人のプレイするR&B、ホモセクシャルを裏から表にする役割を果たした。

同時にドラッグ、マリファナの使用を「あたりまえ」のように広めた。ビートルズやローリング・ストーンズの登場と成功はイギリスの民主化が進展したこと意味した。

テッズ族が時代遅れになり、変わって労働者階級から発生したロッカーと中産階級(ミドル)を中心としたモッズが台頭する。


モッズの典型的なスタイルカラフルでスエードブーツ、リーバイス、マドラスやストライプタイプチェックのジャケット、スクーターで、洗練され、消費主義に徹していた。音楽的にはR&B、ニューソウル、スカ、M.J.Qなどのトラッドジャズを好んでいた。

一方、黒で固めた野卑なロッカーは革ジャン、鉄鋲、リーバイスにバイク、ロックンロールを愛好。64年に両者の抗争が起こるが、これは階級闘争に根ざしたものだ。



2014年10月14日火曜日

停滞とアナーキーのはざまに



停滞と

アナーキーのはざまに



 「エルヴィス・プレスリーがいなかったら、我々はパティ・ペイジと訣別することはできなかっただろう」という有名な言葉がアメリカにある。

ジョン・レノンは「エルヴィスがいなかったらビートルズはなかった」と言い、ポール・マッカートニーは「われわれは遂にエルヴィスを超えることができなかった」と言った。

それは先駆者としての
エルヴィス・プレスリーを賞賛する言葉だが、身震いするほど凄いのは、人種差別問題が激化した時代に黒人のフィーリングで歌い、エキセントリックに下半身を動かす独特のアクションで「テレビ時代の始まりのテレビ」に登場したことだ。
この状況を想像するだけで、全身に震えが走る。(風邪をひいているわけではなく。)





白人と黒人が同じバスに乗ったのは
エルヴィス・プレスリーが全米に大ブームを起こした
6年後の出来事なのだ





1896年、アメリカ最高裁が下した「分離すれども平等」
という考え方は人種差別待遇は憲法に違反しないと判決を下した。
この判決によって白人と黒人が同じバスに乗ったり、学校へ行ったり、レストランで食事したりすることができなかった。
1954年に歌手としてエルヴィス・プレスリーは黒人の歌をレコーディングしているが、この年には「ブラウン裁判」が行われる。




カンザス州に住む黒人ブラウンは自分の娘を近所の小学校に入れたいと願ったが、白人学校という理由で拒否されたことで、教育委員会を相手どって起こした裁判のことだ。

実際には黒人組織NAACPが白人社会に叩き付けた闘争といえるこの裁判は、最高裁に持ち込まれる。



全米が固唾を飲んで注目した判決の行方は、事実上まやかしだった「分離すれども平等」の判決を覆すという歴史的な結果となった。





しかし、この判決に不満をもつ白人感情は激しい闘争にエスカレート。


KKKの黒人リンチ事件が相次いで発生するようになり、陽気なアメリカ人の暗い影の部分が浮き彫りになる。

1963年8月28日、黒人の公民権運動のために「私には夢がある」と訴え全米の黒人の心をひとつに束ねたマーティン・ルーサー・キング牧師率いる20万人のデモ行進がワシントンで行われる。
やがてその抗議は全米で黒人暴動という形で広がった。



米ソ冷戦、ベトナム、国内外に問題を抱えたまま、3ヶ月後にフロンティアスピリットを訴えたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件が発生。

さらに2年後の65年にハーレムでマルコムX暗殺、その4年後、北アイルランドで公民権運動が起こる。



ロックンロールによって


爆破された壁の向こうに。 



1956年に起こったエルヴィスのヒットチャート独占による衝撃は自由なアメリカ社会においても当時は尋常ではなかった。

「白人女子を汚らしい黒人文化で汚すのか」「卑猥で下劣だ」という抗議が相次ぐなか、エルヴィスのクリスマス・ソングを放送したとしてディスク・ジョッキーがラジオ局から一方的に解雇され裁判沙汰になっている。

1950年代のアメリカは建国以来のピューリタン的なマインドが薄れていくにつれ、価値観に変化が起こりはじめ、社会不安が強まる傾向にあった。

既成の倫理のほころびを最も強く感じていたのは若い世代そしてマイノリティだった。



「怒れる若者たち」は存在したものの、現代の若者文化の原形が完成したのは1956年のロックンロールの発火によるものだ。

エルヴィスが持ち込んだ「危ない音」によって爆破された危ない時代の崩れた壁の向こうに、人々が見たこともない世界が存在していた。


こうして始まったロックンロール旋風は、若者を大人たちの既成の価値観から、女性を権力の拘束から解放し、黒人音楽のリズムに潜んでいる「乾いた性」を白人社会の抑圧された湿った性に突き付け解放する方向へ押し進める力となる。

米英のレコード売上倍増に始まり、ファッション、音楽、セックス、車(バイク)がワンセットになった若者文化の誕生した。

それはまさしく戦後の停滞とアナーキーのはざまに咲いた「ポップカルチャー」誕生の瞬間だった。





もともとは経済用語として誕生したティーンエージャーという概念が、一般化する。


ティーンエージャーはギルバート・ティーンエイジ・サービスという市場調査会社が15歳~19歳の市場が経済にあたえる影響力の大きさを1945年に提言した際に使用した造語だった。


要するにエルヴィス以前に「ポップカルチャー」というものは存在しなかったのだ。


そしてそのインパクトが世界を駆け巡り、収穫逓増の原理が働くのに多くの時間を必要としなかった。


「エルヴィス以前には、なにもなかった」

「エルヴィスがアメリ文化を変えた」という伝説が生まれたのはそのためだ。




2014年10月13日月曜日

カウンター・カルチャーとしてのロック魂








アメリカは世界有数の消費社会で、派手に戦争もするけど、一方ではアメリカの良心のように、消費文化や行為に対する対抗する文化(カウンター・カルチャー)が途切れることなく根強く流れている。


心優しい 人たちが自分たちの土地から追い出され、路上で放浪させられて、飢えに迫られていく。故郷を捨て自分達の進む道をカリフォルニアに見出そうとする。30年代の悲しみと不安を描いたスタインベックの小説「怒りの葡萄


怒りの葡萄














あるいは、50年代のジャック・ケルアックの「路上」に代表されるビート・ジェネレーションのボヘミアン的な暮らし。

中産階級の不毛からの脱走として独特のカウンター・カルチャーがサンフランシスコのベイエリアを拠点にカリフォルニア州から発信されてきた。

このどうにも切なくやるせない思いはウェストコースト・ジャズのメッカとしていまも引き継がれており、街中ではいつでもジャズが流れている。

ジャズはロックの登場が待ちきれなかった者たちの身体レベルで響くサウンドだった。

モントレーのジャズ・フェス は世界最大級の規模でいまも毎年開催されている。
(注:「ビート」は口先だけの言葉ではなく、人々を振動させる行動を伴った言葉だ。)

60年代に”サマー・オブ・ラブ”として歴史を刻んだのも、ビート・ジェネレーションの継承だ。
70年代には舞台を移し、ニューヨーク・パンクによってイデオロギーがイギリスに飛び火。
ビート・ジェネレーションは、1950年代前半にうごめいていた。
いまから半世紀も前のことだけど、ビート・ジェネレーションが表舞台に登場するには、ロックンロールの登場を待たなければならなかった。

愛ピのエルヴィス・プレスリー コレクション


ロックンロールの誕生は、何をもって誕生とするかは人によって解釈が違う。
しかし、白人によるパフォーマンスをその起源とするのが、もっとも妥当であろう。なかでもロックンロールを大衆文化に送り込み確固たるものにしたという点では、エルヴィス・プレスリーの登場に尽きる。

BlueSuede Shoesという曲は、ロック魂そのもの。well you can do anything but lay off my blue suede shoes


愛ピのエルヴィス・プレスリー コレクション


BueSuede Shoesという曲は、ロック魂そのものだ。

 well you can do anything but lay off my blue suede shoes

ロックの黎明期のこと。

エルヴィス・プレスリーは「あんたが何をしたって構わない。 だけど俺のBlue Suede Shoesは踏まないでくれ」と歌った。





この曲がロックンロールとは何かをすべて表現している。

誰もが見たことも聴いたこともないその過激さゆえに悪魔か殺人鬼のように世間から袋叩きにされたアメリカ南部メンフィスの貧しい青年エルヴィス・プレスリー。

当時のライバルで優等生のイメ-ジのパットブーンが白で固めたコスチュームに対峙して歌った「ブルー・スエード・シューズ」。

カール・パーキンス のオリジナルだが、当時のエルヴィスの状況を映し出した曲として、エルヴィス・プレスリーのシンボリックな曲として扱われている。


カール・パーキンスのオリジナルとは違いエルヴィス・プレスリーは最初からたたみかけるように一気に突っ走る。ワイルドだ。

ロック魂がストレートに伝わってくる名曲だ。

ロック魂とは、つぶれそうになりながらも、あるいは潰されそうになりながらも、泣きたい、降参したい、それでも自分の道を貫き通そうとする。追い込まれてもがむしゃらにやる、カッコ悪さではないだろうか?

カッコ悪いというのも、第三者に言わせればの話で、実はそう言う本人にやり通す自信がないだけのこと。

つまりコンプレックスの裏返しでしかない。


ロック魂とはこの裏返ってハスに構えた状態ではなく,もっとストレートでがむしゃらで変化を恐れないことだ。



2010年4月26日月曜日

アメリカの新しいヒーロー

過去十年アメリカを.覆ってきた保守主義と偽善の暗い影は、これからの二、三年さらに悪化の一途を辿るだろう。

それに対してリベラルなミドルクラスは並々優柔不断の度合いを深め、砂の中に突っ込んだ頭を一層深くもぐりこませることで対処するしかないことも想像に難くない。つまりアメリカの若者たちに与えられる選択肢は右か左か、禅仏教と麻薬中毒の道か、あるいは都市近郊に住まいを構えるミドルクラスの退屈な毎日かの二つしかないということになる。

こうした事態がどんな結末を導くか、わたしたちは既にその幾つかを目にしている。それを見て恐怖にかられ、叫び声を挙げないような人は、いずれそのために酷い目に遭うに違いない。
これまでに顕著になった主なものとしては、ロバート・プルスタイン(役に立つ悲鳴を挙げた数少ない人物の一人)のいう「アメリカの新しいヒーロー」の出現がある。

ヒーローは様々な姿をとって登場する。テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』の主人公、あの粗暴なスタンリー・コワルスキーもその一人である。コワルスキー(マーロン・ブランド演じる映画では特に)の示す堕落した獣性、愚かしさを、巷のビート・ボーイたちは、何と男らしさのシンボルと見、豊かな感受性の現れと取り違えた。

ジェイムズ・ディーンもこのタイプのヒーローの一人だ。この男はまともに話す能力さえなかったが、それを魂の純潔さの証ととってくれるファンがいた。ちょうどジャック・ケルアックが理路整然とした文章を書く力を持たないことが美徳であり、聖人である証といわれたように。

エルヴィス・プレスリーの吹き込んだすべてのレコードに聞かれる淫らなつぷやきも、このヒーローの声なのだ。こうした現象はどれもブルスタインの言葉を再び引くなら、「文化の崩壊を予言する」のであり、「口籠もるヒーローたちの姿に、大人になることを恐れるアメリカの若者たちの気持ちが象徴的に現れている。大人になるということは、自分の意見をはっきりと述べることでもあるからだ」。

ノーマン・ボドーレツ

愛ピのエルヴィス・プレスリー コレクション

日本全国男前プロジェクト

ゲンキポリタンのじぶんぢから再生プロジェクト

2010年4月13日火曜日

エルヴィス・プレスリーを聴いた。



エルヴィス・プレスリーを聴いた。

 「ハートブレイクホテル」は、これから何かが起ることを予告していたのではなく、もう始まっていたことを知らせていた。すでに劇的に世界を変えていた。

その時代の日本はどうなっていたのか?真の意味でのロカビリーあるいはロックンローラ-、エルヴィス・プレスリーをリアルタイムで体験した人に出会ったことがない。本当は<ハウンド・ドッグ>こそエルヴィスのキングのポジションを与えた曲であるが、ウエスタン・カーニバルを通して入ってきた日本ではそうではない。

その原因は日本が貧しかったことと、情報がリアルタイムで入ってこなかったからだろう。日本で起った<ウエスタン・カーニバル>に代表されるロカビリー・ブームはリアルタイムと思い込んでいたが実はそうではなく、エルヴィスが入隊していた時期のようだ。そういうこともあってか、日本でのエルヴィス・プレスリーの評価は本国と随分違って低いのが本当だろう。


その理由のもうひとつは<ブルー・ハワイ>等の映画を通しての印象が強いのも一因だと思う。映画でも、ビートルズ登場後の<ラスベガス万才>ではなくビートルズ登場前の<ブルー・ハワイ>の印象なのだ。観光映画の案内役をする歌う2枚目スターと革新的なロックバンドビートルズという構図だ。

その後のエルヴィスの印象はジャンプスーツになる。<エルビス・オン・ステージ>による印象によるものだ。つまり先駆者であるロックンローラー、エルヴィス・プレスリーがゴッソリと抜けているのだ。

 そのためにエルヴィスの評価が低い最大の理由は意外にも「革新性がない」「発展がない」というものなのだろう。例えば日本の書店で取り扱われている音楽関係者では圧倒的にビートルズが多い。アメリカではエルヴィスが一番多いし、パティ・スミスも多い。(日本では極端に少ない)まあ、それぞれの国によって違うのは勝手なのだろうが。

 さてエルヴィス・プレスリーは一体何をしたのか?ひとことで言えば「世界を変えた男」ということだが、実際のところエルヴィス前の世界を知らないし、どちらかというとビートルズ前の世界すらよく判らない。

これだけの大スターでありながら自伝もないし、同業者との交友録もなければ、語録すらわずかしかない。ベールに覆われた生活とおもしろおかしく書かれたスキャンダル本や死後の「まだ生きている」本がある程度で、相当に正確に書かれた誠実な本ですら不透明な点が多い考えれば考える程ミステリーな部分に突き当たる。

ただひとつ信じられるのは「エルヴィスの声」だけだ。僕はそれが好きで聴いていたにすぎない。その繰り返しの中でいくら聴いても飽きないのが「サンスタジオ」のエルヴィスだ。

 聴けば聴く程に、サンスタジオでエルヴィスは頂点に達してしまったのではないだろうかという思いが強くなる。かの有名な<ハートブレイク・ホテル>はその頂点に達したお祝の記念盤のようにすら思える。<ハートブレイク・ホテル>のエルヴィスはサン・スタジオで録音したものとは随分違うもので、プロフェッショナルが集合して作り上げた珠玉のロックンロール(?)であっても、(僕には)エルヴィスの最高傑作でない。

僕は<ミルクカウ・ブルース・ブギー>は最高のロカビリーだと思っている、そして<今夜は快調!>は最高のロックンロールだと思う。共にサンで録音されたものだ。

黒いシャツにピンクのパンツというファッションはいかにも黒人っぽい。単なる好みの問題ではない。白人社会からの拒絶に対するエルヴィスの回答であり、生きる姿勢を意味する。貧困、監獄にも入れられた父親、アルコール中毒による家庭内暴力、双生児の一人を死産しながら何もしてやれなかった虚しさからくる不安定な母親の過剰な干渉、教会の施しの食事に頼る日々、メンフィスの学校で嘲笑された悔しさ、安定した収入を得る仕事を夢見た13歳の少年。

 唯一の居場所がギターのピックの中だった青年が希望の火をメラメラと燃やしながら突進していく疾走感が<ミルクカウ・ブルース・ブギー>を通して悲しいまでに響いてくる。僕は<A FOOL SUCH AS I>のエルヴィスが一番好きだが、それはポール・マッカトニーが遂にカヴァ-してしまった<恋にしびれて>を最高に楽しい曲とかねてから公言していたのと同じ意味で、それはいつでも聴いて楽しい、声の素晴らしさで、楽しめるものだ。

ア・フール・サッチ・アズ・アイ/ A FOOL SUCH AS I>が娯楽版とすれば<ミルクカウ・ブルース・ブギー>は純文学の世界なのだ。

キース・リチャーズ(ローリング・ストーンズ)は「エルヴィスにも出来なかったロックの完成を俺はやるぜ」と言っているようだが、それは結構だ。キースやE.クラプトンたちは大好きだ。しかしいかに大好きで偉大であっても彼等はブルース、黒人音楽に向かい合っているようにしか感じられない。エルヴィスがキングでありえる最大の理由は向かいあっているのではなく、エルヴィスそのものが黒いという点にあると思う。別に黒でも、黄色でも、白でもいいのだが、黒にこだわるのは、黒の粒子の隙間から「絶望」の声が聴こえてくるからだ。

エルヴィスの歌い方、声からは「絶望感」ではなく、「絶望」が響いてくる。絶望だけではない「希望」「反抗」「屈辱」「飢餓」「怒り」「悲哀」「倦怠」「恐怖」「抑圧」「憂鬱」「空想」「焦躁」「空虚」人間のあらゆる感情がうねりのように発信され押し寄せてくる。その甘いルックスからは想像できない精神が肉体に宿っている。それがリズムとメロディと一体となってばく進する。

それは<ミルクカウ・ブルース・ブギー>の赤と黒のねっとりとした南部の熱い夏の情景が出だしの語りの声によって表現されている。その後に続く感情の嵐、創造的でシンプルなサウンドが心臓の動きのように正確に響く。白人の音楽でも黒人の音楽でもない。エルヴィス・プレスリーという個の存在、歌っているのではなく、魂を内包した身体が表現している。ロックンロールを歌っているのではない。ロックンロールそのものがそこにあるのだ。エルヴィス・プレスリーという肉体と精神がロックンロールなのだ。

自分自身がロックンロールそのものであるなら、音楽的なロックの発展、追求は自身の死と再生の繰り返し以外に選択はない。ブルースと向かい合って「ここはこうだよね」と技術を楽しんでやっているのと決定的に違うのだ。意識する場合もあれば無意識の場合もあるが、人間には『そのこと』をする理由がある。

 エルヴィスはなぜ歌っていたのだろうか?なぜキャデラックをピンク色にしたのだろうか?安定した暮らしをするために安定した収入に憧れた少年はそのアメリカ的な成功によって信じられない富を手にした。

キャデラックはその象徴であり、<ハートブレイク・ホテル>を歌うことと引き換えに獲た純金を使った富の象徴をピンク色に塗り替えてしまった。 まるで金を捨てるかのような裕福な暮らしへの同化と反発だ。

彼が求めていたのは「安定」であり、そこには安らかな安心すなわち「愛」が欠けていた。「憂鬱と倦怠」、しかし彼は「安定」とは何か本当は知らなかったのだろう、そんな経験を知らない人間に分かるはずがない。ピンク・キャデラックはそれを語っているような気がする。

この時にエルヴィスの魂は生きるために死んだ。死ぬことによってのみ彼は癒され再生した。

自殺者の遺書を原作にした<ハートブレイク・ホテル>はサン・エルヴィス=エルヴィス・アーロン・プレスリーという個人へのトリビュート・ソングだ。「こんな暮らしはもうイヤだ」と決意した13歳のエルヴィス、白人から嘲笑された高校時代、アル中の父親を壁に押し付け「今度お袋に暴力を振るったらただでは済まさないぜ」と凄んだ屈辱にまみれた<白人の屑扱いされた>エルヴィス・アーロン・プレスリーへのトリビュート・ソングだ。

 再生したエルヴィス・プレスリーは新進気鋭のシンガーとしてマシンガンのように自分の分身をヒットチャートに連続で撃ち込み世界を変えていく。貧しく馬鹿にされ自ら自分を卑下せずにいられなかったエルヴィス、それを「お前は卑下することなんかなにもないのだよ」と言い続けた母グラディス、怪し気なトム・パーカー大佐を味方にして「みじめな南部の田舎者の逆襲」はメディア、上流の、いや普通のアメリカ中の生活を挑発し嘲笑しながら世界制覇に発展していく。

RCAでのエルヴィスは、ブルースから憎しみを消し去ったことでロックンロールを創造したサン・エルヴィスをパロディすることで火の玉のように飛び転がりロックンロールした。彼は明らかに憎しみより愛を選んだ「確信犯」である。

 エルヴィス・プレスリー入隊、そして入隊決定。国家は人気絶頂、サブカルチャーはもとより世界を変える勢いに成長したエルヴィスを潰しにかかったのだろう。
免除金を出せば徴兵は免れることが可能だったし、その他特別な扱いを受けることが可能な条件をいくつか提示されたが、一切を受けなかった。

それに対しエルヴィスは自分の意見を言わない男と受け取られがちだがそうではない。彼はどこにでもいる「ただひとりの白いアメリカ男」になりたかっただと思う。ここに沈黙に潜む強固な意志、言い換えれば<礼儀正しさと奔放さ>の二面性の接点が伺い知れる。

インタビューを求めて殺到するマスコミ。貧しくどちらかと言えば社会からはじき出されていた<ヒルビリー>少年には金以上の栄光ではなかっただろうか?彼は本当に「白人」になり、「アメリカ人」になった。

「軍服を着ている限り何処に行ってもアメリカを代表して行動している」という発言は紋切り型であるが、この言葉の裏には「白人社会」に受け入れられたことが強くこめられている。貧しい服装を嘲笑された高校時代が脳裏を横切っただろう。
「黒いシャツにピンクのパンツ」はみんなと同じにはなれないから、同じではいられない孤独と生き続けるための反発、理不尽に課せられた生きる悲しみがこめられていたはずだ。

 ドイツに赴任したエルヴィスは14才のプリシラに出会う。ファンに取り囲まれてもその真の心は判らない。富と名声を獲得すればするほど、人間の心は見えにくくなる。純真な少女の心はエルヴィスには識別可能な「安心」だったのだろう。
彼は二度目の死を迎えて癒された。白いアメリカ人というアイデンティティと引き換えに、ロックンローラー、エルヴィス・プレスリーは死んだ。

後日、ジョン・レノンが「エルヴィスは入隊で死んだ」と語っているが、音楽家としてのエルヴィスは変質したが、人間エルヴィスは永く暗いトンネルを抜けたのだ。しかしロックンロールはエルヴィスそのものであり、ロックンロールの死でもあった。

 除隊し、復帰したエルヴィスはサン・エルヴィスを内包した偉大なロックンローラー、エルヴィスへのトリビュート<ELVIS IS BACK!>を発表し、大ヒットさせる。ファンから忘れられたのではという不安は瞬く間に消え去りショー・ビジネスに君臨する大スターとしての地位は間違いのないものとなった。

世間から袋叩きにされた時代は遠のき身も心もアメリカの一員となった偉大なるアメリカの大スター・エルヴィスは大御所シナトラと共演。映画<ブルー・ハワイ>はヒットし、サントラ・アルバムは20周連続ヒットチャート・トップの大成功、その地位を確固たるものにするためにもハリウッドに専念するようになっていく。三度目の死だ。癒しはなく再生もない死になってしまった。

エルヴィスは結婚することで癒しを受け、待ち望んだ「安定」を手に入れたかのように見えた。安定を経験したことのないエルヴィス・アーロン・プレスリーを内包した偉大なスターは次第に生気が薄れていく。エルヴィス自身が生きるために再生を渇望するようになっていく。四度目だ。

葛藤の結果、安楽の中で腐乱していく偉大なハリウッドスターを自らの手で殺し、その死体の中から取り出したエルヴィス・アーロン・プレスリーを再生させる。<TVスペシャル><シッドダウン・ショー>に失った、嘗ての自分を再生させる。見事に美しいまでの光景だ。サン・エルヴィスのようなメラメラした突進はないけれど、ここには白いアメリカ人というアイデンティティ、安定、愛との引き換えに封じ込めてきたものへの怒りがあり、挑戦がある。スタジオにはロックンロールそのものが存在しており、巷にはロックが溢れていた。



しかし存在そのものがロックンロールであり、「ザ・キング・エルヴィス」であるエルヴィスは一体どうすればいいのだろうか?

音楽的なロックの発展、追求、結晶は自身の死と再生の繰り返し以外に選択はない。<TVスペシャル><シットダウン・ショー>のエルヴィスを生かし続けるためには死を以て再生させるしかない。ラスベガス・エルヴィスはこの道程のすべてのエルヴィスを内包したショー・ビジネスの王者、世界一自由で富みに満ちた国<アメリカそのもの>として蘇る。

 <アメリカそのもの>はハワイで「豆絞りの手ぬぐい」を首にかけ、麻薬取締官にも任命され、大統領とツーショットで世界中のアメリカ大使館の額縁に入った。ロックンロールであり続けるために死と再生を繰り返してきた道程に終わりの時が近付いていた。いまや誰も立てないところに立っていたのだ。思い起してもらいたい、彼の歩んだたったひとりで戦った道を。

そして「白いアメリカ人」のアイデンティティはプリシラの浮気によっていとも簡単に崩壊する。「えっ!あのエルヴィス・プレスリーが浮気されたって」他人はおもしろおかしく言う。

ずっと欲しかったもの、憧れた結果やっと手にしたものが意味をもたなくなったとき、ピンクのキャデラックは金属のおもちゃ以上の意味しかなかったことを思い知らされ、グレイスランドはテユペロの家より大きいだけの意味でしかなく、ファンはただ歌を聴いてくれる存在でしかないとき、一体自分の存在にどんな意味があるのだろうかと疑問を持っても不思議ではない。

もはや「牛の乳しぼり」にメラメラと燃え上がる情熱を再燃させようにも、もっと大きな絶望が立ちはだかる。「牛の乳しぼり」に命が燃えたときは絶望もあったが、それを睨み返す反抗も希望もあった。

いまは自分のやり方は正しかったのか、間違っていたのか?それすら分からない。あれだけの声援、支持を受けながら怖れていた「拒絶」が事実としてある。エルヴィス自身に非があったのかも知れないし、なかったかも知れない。いずれにしろ、無垢だった白人女性の妻は有色者と恋に落ちたという事実。プリシラの拒絶は”ただひとりの女”の拒絶では無い。世界の拒絶だったのではないだろうか?

「お前は卑下することなんかなにもないんだよ」と言い続けた母グラディスの言葉は正しかったのか?すべてが崩れ出した。

 死を選択してもおかしくなかった。エルヴィスは死にたかったのではないかと思う。あの死の直前のコンサートに見るエルヴィスにはもはや「緊張」はない。戦い続けた結果、残ったのは「白人からはじきとばされたエルヴィス」だったとしたら、全人生が否定されたように思ってもおかしくないよね、エルヴィス。

 でも違う。あなたの歩んだ道は決して間違っていなかった。と言ってあげたい。
こんなに世界中でこんなにもあなたの歌に声に癒され勇気付けられている人がいる事実がそれを語っている。その人生の最後を閉じたところから「永遠のアメリカ」となった。



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