2017年3月1日水曜日

エルヴィス・プレスリー・ギャラリー



あなたの好きなエルヴィスはどれですか?


エルヴィス・プレスリーが急死したとき、「エルヴィス・プレスリーはドーナツの食べ過ぎで死んだ」とデタラメなニュースが流れましたが、実際はドーナツ盤を売りすぎて死んだのです。ドーナツ盤とはシングルレコードのことで、ドーナツの形をしていたので、ドーナツ盤と呼ばれました。

アルバムが買えなかった若者に買いやすくしたもので、エルヴィスの最初のアルバムは全部シングルカットしてドーナツ盤でも販売されました。



ミシシッピー州イースト・テュペロ出身。1954年「ザッツ・オール・ライト」でメンフィスのサン・レコードからデビュー。キング・オブ・ロックンロール。エルヴィス・プレスリーが爆発した時代。1956年ですが、リアルタイムで聴き、夢中になった人って日本では少ないと思います。

その証拠って言ってはなんですが、有名な曲「監獄ロック」、同名映画の主題歌ですが、その映画が公開されたのは、ずっと後でビートルズ登場と変わらない頃です。

で、アメリカでは「ハウンド・ドッグ」がエルヴィスの代表曲ですが、日本では「ハートブレイク・ホテル」

両方ともアメリカではナンバーワン曲ですが、社会に与えたインパクトという点では明らかに違いがあり、「ハウンド・ドッグ」は事件になりました。キング・オブ・ロックンロールの冠がついたのも「ハウンド・ドッグ」が深くかかわっています。

サンレコードから移籍したエルヴィス・プレスリーが、1956年RCAから発表したファースト・シングル「ハートブレイク・ホテル」です。エルヴィス・プレスリーのファーストシングルにして、初の全米No.1となり、キングの歴史がはじまりました。

日本では「ハートブレイク・ホテル」が日本人が歌って騒動になりましたが、意味が違います。

しかも「ハートブレイク・ホテル」がどのようにして人気を得たのか、実際のところわかりません。だってテレビが浸透してなかった時代のことですから、ラジオしかなかったのではないかと想像します。そのラジオからエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」も流れてきたのでしょうが、ピンときません。


厳密には映画を通してしかエルヴィスを知ることはできなかったのでないでしょうか?

そのはじまりが「ブルー・ハワイ」です。これもリアルタイムで知りませんが、当時は夢のパラダイス。行きたくてもほとんどの日本人には夢のまた夢、幸運にも自分はハワイに行ったのは早かった方だと思いますが、当時は日本人が数多く働いていて、ほとんどの人が仕事を複数やっていましたね。

映画は全く知りませんでしたが、ハワイ観光に火をつけたのではないでしょうか。自分が実際に行くよりずっと前の公開で、たぶん伊勢神宮のような格付けだったのではないかと想像します。

当時。劇場で観た方は、ゴージャスなハワイを背景に歌いまくっているエルヴィスを見て、「こんな映画の主役をやっているんだから、この人は並の俳優ではない」と感じたそうです。

つまり日本人がエルヴィスをリアルに体験したのは、ここから後だと言いたいわけです。早くてビートルズ登場の2年位前の話です。わずか2年ですが国の成長がいまの2年と随分違う。いまは情報化社会といわれ技術の日進月歩という点ではすごいけど、国が成長していく馬力という点では非ではないと思います。

当時ガキの自分には、ほとんど想像ですが・・・。

ビートルズはリアルタイムでしたね、団塊世代にピタッとはまったバンドでしたね。しかし男の子は関心なかったですね。いま伝わる話は後から作られた話が多いです。あるいは一部の人の話がクローズアップされて伝わっている。

実際は「橋幸夫」ですよ。団塊世代の心の歌は・・・「橋幸夫」です。
子どもの頃、市場があってよく遊んでいたので記憶してます。
BGMに流れてくるんです。
音楽は市場で覚えました。歌謡曲、映画音楽、プレスリーなんて一切記憶にないですね。ビートルズも。

🎵マコ、甘えてばかりでごめんね。ミコは・・・なんてよく入ってきましたね。
おかげで音楽が嫌いで嫌いで・・・恋は神代の昔から〜なんて聞こえてくると、どうにかしてくれと思いましたね。

それを全部、払拭したのがエルヴィス・プレスリーでした。
歌ってこんなに楽しいもんだと知りました。



Return to sender
Return to sender

I gave a letter to the postman
He put his sack
Bright and early next morning
He brought my letter back
She'd wrote upon it

*Return to sender
Address unknown
No such number
No such zone"

We had a quarrel
A lover's spat
I write "I'm sorry"
But my letter keeps coming back

So then I dropped it in the mail box
And sent it special "D"
Bright and early nest morning
It came right back to me
She'd wrote upon it

*Return to sender
Address unknown
No such person
No such zone

This time I'm gonna' take it myselt
And put it right in her hand
And it it comes back the very next day
Then I'll understand
The writing on it

* Repeat
Oh, return to sender
Return to sender
Return to sender
Return to sender

この曲は全米NO2、全英NO1になった「心のとどかぬラブレター」、ふたたびハワイで撮影した映画「ガール!ガール!ガール!」の挿入歌。
ハリウッド映画は、不法移民だったマネジャーの都合で世界ツアーができなかったエルヴィスを世界に見せる装置だったのです。

しかし、本来のエルヴィス・プレスリーとは違います。やっぱりエルヴィス・プレスリーはキング・オブ・ロックンロールですから。

日本人が本当のエルヴィス・プレスリーを垣間見るのは、ビートルズやボブ・ディランを知った後なのです。

Artist of the Century 













2015年11月10日火曜日

If I Can Dream:明日への願い / エルヴィス・プレスリー・ウィズ・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団



「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる重厚なサウンドを創造したフィル・スペクターが、かって「エルヴィスならなんでも出来た」言った。


生誕80年記念アルバム
 If I Can Dream: Elvis Presley With The Royal Philharmonic Orchestra』
全英アルバムヒットチャートが初登場で1位の快挙に輝いた。




このアルバムの素晴らしさは、演奏が変わったことで、オリジナルよりエルヴィスの声が柔らかくしっとりして、ささやくように聴こえることだ。

フィル・スペクターもエルヴィスの声に惚れていた。

フィル・スペクターはビートルズの『レット・イット・ビー』、ジョン・レノンの『イマジン』『ロックンロール』をプロデュースしたことでも有名だが、なによりロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」だろう。ラジオを聴くことができる国なら老若男女を問わずほとんどの人が彼のプロデュースした曲を耳にしているはずだ。ある時期、イギリスに渡ったフィルとビートルズとの関わりは深く、初めてアメリカに行く時もフィルにサポートを依頼している。

2003年、彼の邸宅で起こった女性の射殺事件で裁判中だが、彼を知る人は事件前からその気性に心配を寄せていた。相手が誰であろうが彼は人の意見に耳を傾けなかった。ジョン・レノンの『ロックンロール』では、どっちもどっちだが、酒びたりのジョン・レノンに怒り、スタジオの天井をピストルで撃ち抜き、マスター・テープを持ったまま姿をくらましている。

フィル・スペクターはスタジオで試行錯誤をくりかえしヒット曲を連発した最初のロックミュージックのプロデューサーだった。彼に影響を受け、ビーチボーイズ、ビートルズは変容し、その影響を受けて今日の音楽業界のかたちがある。

彼以前のスタイルは、エルヴィスや美空ひばりがやってのけたように、一発でレコーディングを決めてしまうようなライブと呼んでいいようなスタイルだ。ハートを大事にした彼らは生涯このスタイルを曲げなかった。それはスタジオで何度も何度も試行錯誤するフィル・スペクターの対極に存在した。

そのフィル・スペクターが、「エルヴィスならなんでもできた」と言ったのは興味深いと同時にもし両者が組んだらどうしたかと想像するだけで楽しいが、おそらくエルヴィスは組むことはなかっただろう。








さて、エルヴィスが他界したことで、日本でのコンサートも実現したし、ヒットしなかった映画挿入曲<おしゃべりはやめて>をミリオンセラーにしたし、今回はセクシーな歌詞のロックナンバー<バーニング・ラブ>さえクラシックに変えてしまった。


1. バーニング・ラヴ
2. イッツ・ナウ・オア・ネヴァー
3. ラヴ・ミー・テンダー
4. フィーヴァー (feat.マイケル・ブーブレ)
5. 明日に架ける橋
6. アンド・ザ・グラス・ウォント・ペイ・ノー・マインド
7. ふられた気持ち
8. ゼアズ・オールウェイズ・ミー
9. 好きにならずにいられない
10. イン・ザ・ゲットー
11. 偉大なるかな神
12. スティームローラー・ブルース
13. アメリカの祈り
14. イフ・アイ・キャン・ドリーム(明日への願い)

なんだかエルヴィスが王子様になってディズニーワールドに忍び込んだような雰囲気。

キング・オブ・ロックンロール生誕80年記念ニュー・アルバム。生前のエルヴィスの声が録りおろしのロイヤル・フィルハーモニーのゴージャスな演奏をバックに見事に蘇る、涙ものの夢のアルバム。

ロンドンのアビイ・ロード・スタジオで、70年代から活躍を続け、『フックト・オン・クラシックス』という大ヒット・シリーズの生みの親でもあるドン・リードマンとニック・パトリック、二人の名高いプロデューサーのもとでレコーディング。

さらにジャズ・ポップス界のベストセラー・シンガー、マイケル・ブーブレが「フィーヴァー」で奇跡のデュエットで参加。
アメリカ音楽界からのクリスマスに先駆けた贈り物となった。

加えて、ロックンロールの殿堂入りを果たしたギター・ヒーロー、デュアン・エディが「アメリカの祈り」と「明日に架ける橋」に参加。
イタリアのオペラ・ポップ・トリオ、イル・ヴォーロが「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」に参加している点も注目。


生誕80年の記念の年を飾るにふさわしい夢のアルバムが完成した。

2015年4月7日火曜日

大瀧詠一のジュークボックス~エルヴィス・プレスリー編




大滝詠一が自宅で愛用していたジュークボックスに入れられていた洋楽オールディーズ楽曲を集めた、コンピレーションアルバムが、タイトル『大瀧詠一のジュークボックス』として、ソニー・ミュージック、ワーナー ミュージック、ユニバーサル ミュージックのレコード会社3社から3タイトル同時発売。
特に大瀧詠一氏に影響を与えたエルヴィス・プレスリーは「大瀧詠一のジュークボックス~エルヴィス・プレスリー編としてソニー・ミュージックからリリースされました。
このアルバムは同時に2015年1月8日に生誕80周年を迎える“キング・オブ・ロックンロール”、エルヴィス・プレスリーのベスト・アルバムに仕上がっています。

▪️日本独自企画のエルヴィス・プレスリーのベスト盤
▪️歌詞・対訳・解説付
▪️監修・特別寄稿:亀渕昭信
▪️解説:萩原健太



曲名クリックで楽曲の説明ページに






  4. ラヴァー・ドール





  6. ベストは尽くしたが



  8. ロンリー・マン





12. あなたは何処から



14. ホワッド・アイ・セイ



16. ユール・ビー・ゴーン












2014年10月16日木曜日

怒れる若者たち


ロックンローラー壊滅。

1958年、日本で日劇カーニバルを震源地にロカビリー旋風が巻き起こる。

しかし時差なしに情報が入ってくる現代と違い、当時は2年くらいの時差があったようだ。

年間ヒットチャートの半分をエルヴィス・プレスリーのヒット曲がトップを占領していたのが1956年。

本国アメリカの58年には、 デビューから2年、人気絶頂にあったエルヴィス・プレスリーは、ファンの反対運動の甲斐もなく軍に召集され入隊、ドイツへ派遣されてしまう。

さらに エルヴィスの留守中、バディ・ホリーエディ・コクランジーン・ヴィンセントなどが事故死、ジェリー・リー・ルイスチャック・ベリーのスキャンダル、リトル・リチャードの引退。


一線を飾っていたロックン・ローラーが相次いで消え、変わってストレートなロックに変わって軽いポップスがヒット・チャートを塗りつぶすようになる。

ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシス、デル・シャノン。レイ・チャール、イギリスではクリフ・リチャードが変わって主役となり、メロディーラインの美しい、いわゆる60年代POPS全盛期に入る。

日本で最も愛されてきたPOPSはこの時代のものだ。本国では、すでにロックンロールは壊滅状態にあった。

1960年、エルヴィスが復帰。ブランクをモノともせず、人気の衰えもないままエルヴィスはより大きなシンガーへの転身がはじまる。
しかし、 のちにジョン・レノンは「僕はハート・ブレイク・ホテルによってロックに目覚めた。そのエルヴィスは軍隊に殺された」と言っている。






ロックンロ-ル
























怒れる若者たち


1930年代からアメリカ文化を追いかけていたイギリスでは、アメリカのロックシンガーは大歓迎され、エルヴィスもアメリカ以上に絶大な支持を受けていた。

特に「怒れる若者たち」テッズ族(テディ・ボーイ)には熱狂的に支持された。

アメリカのロックンロール旋風と違い、人種差別主義のテッズ族は1956年には国内最大の暴動事件を起こしている。

革ジャン&ハーレーに乗った反抗する若者をテーマにした1954年製作のマーロン・ブランド主演の映画「乱暴者」がイギリスにおいては68年まで公開禁止されたことが、当時の若者の行動への危惧と狼狽を語っている。











1968年は「イージーライダー」が公開された年だ。
若者文化が労働者階級にまで浸透していなかった1963年に登場したザ・ビートルズはアバンギャルドにも支持された。

ピエール・カルダンを着用したアートスクール出身の彼等の音楽、ファッションによるインパクトは黒人のプレイするR&B、ホモセクシャルを裏から表にする役割を果たした。

同時にドラッグ、マリファナの使用を「あたりまえ」のように広めた。ビートルズやローリング・ストーンズの登場と成功はイギリスの民主化が進展したこと意味した。

テッズ族が時代遅れになり、変わって労働者階級から発生したロッカーと中産階級(ミドル)を中心としたモッズが台頭する。


モッズの典型的なスタイルカラフルでスエードブーツ、リーバイス、マドラスやストライプタイプチェックのジャケット、スクーターで、洗練され、消費主義に徹していた。音楽的にはR&B、ニューソウル、スカ、M.J.Qなどのトラッドジャズを好んでいた。

一方、黒で固めた野卑なロッカーは革ジャン、鉄鋲、リーバイスにバイク、ロックンロールを愛好。64年に両者の抗争が起こるが、これは階級闘争に根ざしたものだ。



2014年10月14日火曜日

停滞とアナーキーのはざまに



停滞と

アナーキーのはざまに



 「エルヴィス・プレスリーがいなかったら、我々はパティ・ペイジと訣別することはできなかっただろう」という有名な言葉がアメリカにある。

ジョン・レノンは「エルヴィスがいなかったらビートルズはなかった」と言い、ポール・マッカートニーは「われわれは遂にエルヴィスを超えることができなかった」と言った。

それは先駆者としての
エルヴィス・プレスリーを賞賛する言葉だが、身震いするほど凄いのは、人種差別問題が激化した時代に黒人のフィーリングで歌い、エキセントリックに下半身を動かす独特のアクションで「テレビ時代の始まりのテレビ」に登場したことだ。
この状況を想像するだけで、全身に震えが走る。(風邪をひいているわけではなく。)





白人と黒人が同じバスに乗ったのは
エルヴィス・プレスリーが全米に大ブームを起こした
6年後の出来事なのだ





1896年、アメリカ最高裁が下した「分離すれども平等」
という考え方は人種差別待遇は憲法に違反しないと判決を下した。
この判決によって白人と黒人が同じバスに乗ったり、学校へ行ったり、レストランで食事したりすることができなかった。
1954年に歌手としてエルヴィス・プレスリーは黒人の歌をレコーディングしているが、この年には「ブラウン裁判」が行われる。




カンザス州に住む黒人ブラウンは自分の娘を近所の小学校に入れたいと願ったが、白人学校という理由で拒否されたことで、教育委員会を相手どって起こした裁判のことだ。

実際には黒人組織NAACPが白人社会に叩き付けた闘争といえるこの裁判は、最高裁に持ち込まれる。



全米が固唾を飲んで注目した判決の行方は、事実上まやかしだった「分離すれども平等」の判決を覆すという歴史的な結果となった。





しかし、この判決に不満をもつ白人感情は激しい闘争にエスカレート。


KKKの黒人リンチ事件が相次いで発生するようになり、陽気なアメリカ人の暗い影の部分が浮き彫りになる。

1963年8月28日、黒人の公民権運動のために「私には夢がある」と訴え全米の黒人の心をひとつに束ねたマーティン・ルーサー・キング牧師率いる20万人のデモ行進がワシントンで行われる。
やがてその抗議は全米で黒人暴動という形で広がった。



米ソ冷戦、ベトナム、国内外に問題を抱えたまま、3ヶ月後にフロンティアスピリットを訴えたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件が発生。

さらに2年後の65年にハーレムでマルコムX暗殺、その4年後、北アイルランドで公民権運動が起こる。



ロックンロールによって


爆破された壁の向こうに。 



1956年に起こったエルヴィスのヒットチャート独占による衝撃は自由なアメリカ社会においても当時は尋常ではなかった。

「白人女子を汚らしい黒人文化で汚すのか」「卑猥で下劣だ」という抗議が相次ぐなか、エルヴィスのクリスマス・ソングを放送したとしてディスク・ジョッキーがラジオ局から一方的に解雇され裁判沙汰になっている。

1950年代のアメリカは建国以来のピューリタン的なマインドが薄れていくにつれ、価値観に変化が起こりはじめ、社会不安が強まる傾向にあった。

既成の倫理のほころびを最も強く感じていたのは若い世代そしてマイノリティだった。



「怒れる若者たち」は存在したものの、現代の若者文化の原形が完成したのは1956年のロックンロールの発火によるものだ。

エルヴィスが持ち込んだ「危ない音」によって爆破された危ない時代の崩れた壁の向こうに、人々が見たこともない世界が存在していた。


こうして始まったロックンロール旋風は、若者を大人たちの既成の価値観から、女性を権力の拘束から解放し、黒人音楽のリズムに潜んでいる「乾いた性」を白人社会の抑圧された湿った性に突き付け解放する方向へ押し進める力となる。

米英のレコード売上倍増に始まり、ファッション、音楽、セックス、車(バイク)がワンセットになった若者文化の誕生した。

それはまさしく戦後の停滞とアナーキーのはざまに咲いた「ポップカルチャー」誕生の瞬間だった。





もともとは経済用語として誕生したティーンエージャーという概念が、一般化する。


ティーンエージャーはギルバート・ティーンエイジ・サービスという市場調査会社が15歳~19歳の市場が経済にあたえる影響力の大きさを1945年に提言した際に使用した造語だった。


要するにエルヴィス以前に「ポップカルチャー」というものは存在しなかったのだ。


そしてそのインパクトが世界を駆け巡り、収穫逓増の原理が働くのに多くの時間を必要としなかった。


「エルヴィス以前には、なにもなかった」

「エルヴィスがアメリ文化を変えた」という伝説が生まれたのはそのためだ。




2014年10月13日月曜日

カウンター・カルチャーとしてのロック魂








アメリカは世界有数の消費社会で、派手に戦争もするけど、一方ではアメリカの良心のように、消費文化や行為に対する対抗する文化(カウンター・カルチャー)が途切れることなく根強く流れている。


心優しい 人たちが自分たちの土地から追い出され、路上で放浪させられて、飢えに迫られていく。故郷を捨て自分達の進む道をカリフォルニアに見出そうとする。30年代の悲しみと不安を描いたスタインベックの小説「怒りの葡萄


怒りの葡萄














あるいは、50年代のジャック・ケルアックの「路上」に代表されるビート・ジェネレーションのボヘミアン的な暮らし。

中産階級の不毛からの脱走として独特のカウンター・カルチャーがサンフランシスコのベイエリアを拠点にカリフォルニア州から発信されてきた。

このどうにも切なくやるせない思いはウェストコースト・ジャズのメッカとしていまも引き継がれており、街中ではいつでもジャズが流れている。

ジャズはロックの登場が待ちきれなかった者たちの身体レベルで響くサウンドだった。

モントレーのジャズ・フェス は世界最大級の規模でいまも毎年開催されている。
(注:「ビート」は口先だけの言葉ではなく、人々を振動させる行動を伴った言葉だ。)

60年代に”サマー・オブ・ラブ”として歴史を刻んだのも、ビート・ジェネレーションの継承だ。
70年代には舞台を移し、ニューヨーク・パンクによってイデオロギーがイギリスに飛び火。
ビート・ジェネレーションは、1950年代前半にうごめいていた。
いまから半世紀も前のことだけど、ビート・ジェネレーションが表舞台に登場するには、ロックンロールの登場を待たなければならなかった。

愛ピのエルヴィス・プレスリー コレクション


ロックンロールの誕生は、何をもって誕生とするかは人によって解釈が違う。
しかし、白人によるパフォーマンスをその起源とするのが、もっとも妥当であろう。なかでもロックンロールを大衆文化に送り込み確固たるものにしたという点では、エルヴィス・プレスリーの登場に尽きる。

BlueSuede Shoesという曲は、ロック魂そのもの。well you can do anything but lay off my blue suede shoes


愛ピのエルヴィス・プレスリー コレクション


BueSuede Shoesという曲は、ロック魂そのものだ。

 well you can do anything but lay off my blue suede shoes

ロックの黎明期のこと。

エルヴィス・プレスリーは「あんたが何をしたって構わない。 だけど俺のBlue Suede Shoesは踏まないでくれ」と歌った。





この曲がロックンロールとは何かをすべて表現している。

誰もが見たことも聴いたこともないその過激さゆえに悪魔か殺人鬼のように世間から袋叩きにされたアメリカ南部メンフィスの貧しい青年エルヴィス・プレスリー。

当時のライバルで優等生のイメ-ジのパットブーンが白で固めたコスチュームに対峙して歌った「ブルー・スエード・シューズ」。

カール・パーキンス のオリジナルだが、当時のエルヴィスの状況を映し出した曲として、エルヴィス・プレスリーのシンボリックな曲として扱われている。


カール・パーキンスのオリジナルとは違いエルヴィス・プレスリーは最初からたたみかけるように一気に突っ走る。ワイルドだ。

ロック魂がストレートに伝わってくる名曲だ。

ロック魂とは、つぶれそうになりながらも、あるいは潰されそうになりながらも、泣きたい、降参したい、それでも自分の道を貫き通そうとする。追い込まれてもがむしゃらにやる、カッコ悪さではないだろうか?

カッコ悪いというのも、第三者に言わせればの話で、実はそう言う本人にやり通す自信がないだけのこと。

つまりコンプレックスの裏返しでしかない。


ロック魂とはこの裏返ってハスに構えた状態ではなく,もっとストレートでがむしゃらで変化を恐れないことだ。