過去十年アメリカを.覆ってきた保守主義と偽善の暗い影は、これからの二、三年さらに悪化の一途を辿るだろう。
それに対してリベラルなミドルクラスは並々優柔不断の度合いを深め、砂の中に突っ込んだ頭を一層深くもぐりこませることで対処するしかないことも想像に難くない。つまりアメリカの若者たちに与えられる選択肢は右か左か、禅仏教と麻薬中毒の道か、あるいは都市近郊に住まいを構えるミドルクラスの退屈な毎日かの二つしかないということになる。
こうした事態がどんな結末を導くか、わたしたちは既にその幾つかを目にしている。それを見て恐怖にかられ、叫び声を挙げないような人は、いずれそのために酷い目に遭うに違いない。
これまでに顕著になった主なものとしては、ロバート・プルスタイン(役に立つ悲鳴を挙げた数少ない人物の一人)のいう「アメリカの新しいヒーロー」の出現がある。
ヒーローは様々な姿をとって登場する。テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』の主人公、あの粗暴なスタンリー・コワルスキーもその一人である。コワルスキー(マーロン・ブランド演じる映画では特に)の示す堕落した獣性、愚かしさを、巷のビート・ボーイたちは、何と男らしさのシンボルと見、豊かな感受性の現れと取り違えた。
ジェイムズ・ディーンもこのタイプのヒーローの一人だ。この男はまともに話す能力さえなかったが、それを魂の純潔さの証ととってくれるファンがいた。ちょうどジャック・ケルアックが理路整然とした文章を書く力を持たないことが美徳であり、聖人である証といわれたように。
エルヴィス・プレスリーの吹き込んだすべてのレコードに聞かれる淫らなつぷやきも、このヒーローの声なのだ。こうした現象はどれもブルスタインの言葉を再び引くなら、「文化の崩壊を予言する」のであり、「口籠もるヒーローたちの姿に、大人になることを恐れるアメリカの若者たちの気持ちが象徴的に現れている。大人になるということは、自分の意見をはっきりと述べることでもあるからだ」。
ノーマン・ボドーレツ
愛ピのエルヴィス・プレスリー コレクション
日本全国男前プロジェクト
ゲンキポリタンのじぶんぢから再生プロジェクト
2010年4月26日月曜日
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